DWCの歴史


DWCは、1964430日に同志社大学混声合唱団「こまくさ」から子どもたちのために何かできないかという考えのもと分離独立し、キャンドルサービス・合唱・演劇・ハイキング等、多種多様な活動を行ってきた。

 

後に、活動の中心がキャンプ・ハイキングとなり約40年前に京都市教育委員会(以下市教委)の委託を受け静原キャンプ場の管理・運営を行うようになったが、97年度に静原キャンプ場の管理・運営がボーイスカウトに移行したのを受け、活動拠点を「花背山の家(以下山の家)」に移し、現在に至る。

 

 

長年、キャンプの参加団体を募集するのは市教委であり、プログラムはその意向を強く反映したものであった。

 

そこで、その制約を受けないDWC独自のプログラムや新たな自然環境を求めて主催キャンプが誕生した。

 

さらに京都市以外からも参加できるように、またDWCの活動を広めるために公募行事(キャンプ・ハイキング)が誕生した。

      

活動拠点の山の家では主に夏季キャンプ等の様々な野外活動を行っている一方、年間を通じて業務活動のお手伝いを行なっている。